歴史に学び 病院の新しい未来を(11)

小さな総合診療所(2)

全日本民医連の結成と加盟

福島診療所ができる2年前、1953年6月に22県117院所が加盟する全日本民主医療機関連合会が結成されました。全日本民医連が結成されたことは、働く人びと、患者の立場につねに立とうとする医療機関の全国組織が確立したことを意味します。民医連運動は、医師をはじめ、医療従事者の主体的な医療変革の運動と住民・患者の運動を結びつけることが原点です。会長に選出された須田朱八郎さんは「全国民医連」誌第1号で次のように述べました。

「私達は、新しい医療活動の型を創造しているのだと私は確信しております。病める肺、病める腎臓だけを診るのではなくて病める患部を、その患者、患者の生活全体として診ること、医師、看護婦、事務、診療所全体の力が患者とその家族、否、もっと多くの同じように生活〔苦〕とたたかっている人達と合わせ、その合作した力で一人の患者を治療し、健康と、健康が支えられる生活を守ろうとしているのです。大衆のなかから生まれ出て大衆の中で育ち、発展してきた私達、全国の民主的病院、診療所のあり方は、こういうものだと思います」

福島診療所は民医連の掲げる医療のあり方、運動、精神に賛同し、1957年9月に加盟しました。

民医連第3回大会
(民医連第3回大会)

アルコール依存症とのたたかい

貧しさや差別によっていじけ、自暴自棄になった人たちが診療所を訪れます。自分も人も信じることができない。寂しさと甘えを酒と暴言、暴行によって紛らわす日々を送る人たち。

「この人たちの苦しみを分からなければならない」
「このような状況を生みだす社会を変えねばならない」

そう自らを叱咤するものの、眼前の患者は受診の順番は待たず、気に入らないと手をあげ、機材をひっくり返すといった狼藉(ろうぜき)をくり返します。

「〝大切な、大切な患者さん〟という気持をどうしたら持ちつづけることができるじゃろうか」
「一つぐらい、わがままの言える診療所があってもええじゃないか」
「いや、けじめを持たせるように患者にもっと厳しく指導せんと」
「よりよい医療はどうしたら実現するのだろうか」

職員は悩み、身も心も疲れ果てていました。

「もう辞めたい」

そんな職員に、ある女性は言いました。

「あんたらは出て行けばそれでいいが、私らはここで生きるしかない」

患者たちの振る舞いにとまどいながらも、生活と人生をまるごと預かる診療所の役割を受けとめ、医師・看護師・職員は頑張り続けたのです。

アイビー




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