共産党宣言13 古典の修行

鉄道が労働者を結ぶ


 「彼らの団結は、大工業によってつくりだされる交通手段の発達によって促進される。交通手段の発達は、さまざまな地方の労働者をたがいに結びつける」(『宣言』50頁)。

この当時に生まれた交通手段は鉄道です。

今回も、2017年版『国土交通白書』から紹介しましょう。

  「新しい交通手段として、鉄道が注目され、英国では炭鉱地帯を結ぶストックトン・(アンド)・ダーリントン鉄道(1825年開通)、港町と綿工業・機械工業の中心地を結ぶリヴァプール・マンチェスター鉄道(1830年開通)以降、第一次鉄道ブームと呼ばれた1830年代に各地で鉄道建設が進み、主要都市を結ぶ幹線ルートが鉄道で結ばれるようになった。さらに1840年代には、幹線ルートからの支線建設を巡って第二次鉄道ブームが起き、各地で鉄道整備が進んだ。当初、運賃が高く鉄道の利用者は上流階級に限られていたが、1844年の鉄道法において、低運賃で三等の有蓋車両を運行することが鉄道会社に義務づけられ、鉄道の大衆利用が加速した」(『白書』27頁)。

ストックトン・ダーリントン鉄道

「有蓋(ゆうがい)車両」って分かりますかね?「蓋」は「ふた」とも読みます。イラストを見ていただくと、車両に屋根がありません。これが無蓋車両で、石炭輸送用の貨車に乗っています。

「三等」はご存じの方もいらっしゃると思います。

「等」はグレード、階級ですね。日本でもかつては「三等制」で、1872年の鉄道開業の際に、客車を上等・中等・下等に区分しました。まあなんとストレートな呼び方でしょう。

金持ち用、ぼちぼち用、貧乏人用ということです。「下等」の呼び名は評判が悪く、1897年に一等・二等・三等という名前になったそうです。三等制は1960年で終わり、1969年には「等級なし」(mono class)になりましたが、グリーン車は等級制の名残りですね。

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鉄道によって労働者は遠くの仲間と会い、情報を交換し、相談することができるようになりました。鉄路が労働者を結びつけたのです。

今日では鉄道による移動は、当たり前になっていますが、『宣言』が書かれた頃は、最先端の出来事でした。マルクスは、その画期的意義を評価するあまり、「田舎道しかもたなかった中世の市民が数世紀を要したこの団結を、鉄道をもつ近代のプロレタリアはわずか数年でなしとげる」と大げさに書いています。今なら「インターネットが世界を変える」というような表現に近いような気がしますね(笑)。

しかし、鉄道が労働者・国民に与えた影響が極めて大きかったことは事実です。

『国土交通白書』から再び引用しましょう。

 「鉄道による高速かつ快適な移動は、人々の行動範囲を広げ、様々な物資の移動を容易にした。移動の高速化に伴い観光やレジャーの大衆化や、大量の観客の輸送が可能となったことから競馬やスポーツ観戦等が盛んになった。また、低運賃の鉄道の登場により、労働者が働く場所まで通勤するという習慣が普及した。物資の移動も活発になり、地方で生産される生鮮食品が都市住民の食卓に並ぶようになり、英国の国民食とも言われるフィッシュアンドチップスが英国中で食べられるようになった」(『白書』27頁)。

あらゆる階級闘争は政治闘争である


「どこでも一様な性格をもっている多くの地方的闘争を集中して、一つの全国的闘争、ひとつの階級闘争とするには、この結びつきさえあれば十分である。だが、あらゆる階級闘争は政治闘争である」(『宣言』50頁)。

全国各地で、労働時間の延長、賃下げ、労働強化、解雇などとたたかっている。個々の闘いを地域において繋げ、さらにそれを地域の枠を超えた全国的なたたかいにすることが大切です。

「あらゆる階級闘争は政治闘争である」

これも大変有名なフレーズですが、どういう意味でしょうか。

階級闘争とは何か?『宣言』の冒頭へ戻って確認しましょう。マルクスは「これまですべての社会の歴史は階級闘争の歴史である」といい、「抑圧する者と抑圧される者とは、つねにたがいに対立して、ときには隠れた、ときには公然たる闘争をたえまなくおこなってきた」(32頁)と述べています。

資本主義社会では、資本家階級と労働者階級の対立と闘争です。

この階級闘争のなかには、資本家と直接たたかう経済闘争があります。労働時間の延長、賃下げ、労働強化、解雇など、資本家による攻撃とたたかう。

では、政治闘争とは何か?個々のたたかいではなく、労働者が自らを労働者階級の一員として自覚し、資本階級と対峙する。政治闘争は、政府、政権に対してよりよい制度、法律をつくれと要求をかかげてたたかうことです。

 たとえば、労働時間の延長と規制をめぐって、最初は個々の資本家とのたたかいとして始まりますが、19世紀になって、労働者保護を目的とする「工場法」の制定(1802年)とその改善を求めるたたかいへと発展します。

 画期をなすのが「1833年法」です。その内容は以下の通り。

(1)9歳未満の児童の雇用の禁止
(2)18歳未満の年少者の労働時間の制限(1日12時間)、13歳未満の児童の労働時間の制限(1日8時間)
(3)18歳未満の年少者・児童の夜間労働の禁止
(4)児童労働者の教育の義務化
(5)工場監督官制度の創設

しかし、資本家たちはこの法律を無視し骨抜きにしたのです。

それに対して「工場労働者たちは、憲章を彼らの政治的な選挙スローガンにするとともに10時間法案を彼らの経済的な選挙スローガンにし」て(『資本論』新書版②486頁)たたかいました。

このように、資本と労働者の階級闘争は国政をめぐる争い、政治闘争という重要な場面をもつことになるのです。

現代社会はマルクスの時代より、いっそう「あらゆる階級闘争は政治闘争である」といえます。国政選挙を含む政治闘争ぬきに、国民生活を改善することはできません。


(『宣言』頁数は大月ビギナー版)








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