共産党宣言16 古典の修行

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(邦訳の数々)

マルクスと食料支援


『議会と自治体』(日本共産党中央委員会)2021年9月号の「編集部から」(編集後記)を読んで目が釘付けになりました。
 
  ☆以前、服部文男訳で『共産党宣言』を読んだとき、「(労働者)は、その時々の反抗にたいして食料を準備するために、永続的な結社をさえつくる」という一文が目に留まり、どのような実践が念頭にあったのか、興味を覚えました。
 イギリス1830年代のグランド・ナショナルは短命に終わった労働組合ナショナルーセンター運動ですが、土地を借り入れ、また作業所をつくって生産活動をおこなう、食料・家庭用品を集配所で安価に提供するなど、生産・消費協同組合的構想を持つものでした(浜林正夫「グランド・ナショナルの崩壊」)。
☆『党宣言』がなぜ「食料準備」を特筆したのか――現在の食料支援活動には、喫緊の対応からヒューマニティの根源に迫るものとなる可能性や必然性があるように思います。


「食料の準備」なのか?


服部文男訳とわざわざ断っているのはなぜか?「食料」?

あわてて服部訳(新日本文庫版、新日本古典選書版)をみますと確かに「食料を準備」とあります。しかし、この連載で使ってきた大月ビギナーズ版(村田陽一訳)の訳文は「こういうときおりの反抗にあらかじめ備えて、永続的な結社さえつくる」(文庫版56頁、古典選書版64頁)です。食料という言葉はありません。村田さんが訳したマルクス・エンゲルス全集版④でも「反抗に立つための準備」(484頁)。 

大内兵衛・向坂逸郎訳(岩波文庫)は「この不時の反抗のための準備をするために、みずから継続的な組合さえ作る」(51頁)となっている。2020年刊行の森田成也訳(光文社古典文庫版)も「備えて」です(69頁)。

ドイツ語、英語は?


ネットで原文を探しました。

Sie stiften selbst dauernde Assoziationen, um sich für die gelegentlichen Empörungen zu verproviantieren. Stellenweis bricht der Kampf in Emeuten aus.

手間を惜しんでグーグル翻訳にかけると「彼らは時折の怒りに備えるために彼ら自身で永続的な協会を作ります。 場所によっては、再会で戦いが勃発します」と出てきます。変な日本語ですが、「怒りに備える」とあり、食料はやはり出てきません。
 
編集後記の執筆者である渡邉久幸編集長にメールで疑問を伝えたところ、次のような返事をいただきました。

該当の箇所は、英文では、

the workers begin to form combinations(Trades’Unions) against the bourgeois; they club together in order to keep up the rate of wages; they found permanent associations in order to make provision beforehand for these occasional revolts. Here and there, the contest breaks out into riots.

とあり、そのなかの、in order to make provision に注目しました。provision には《蓄え、食糧、食料》という意味があるので、服部訳には根拠があるように考えました。他の訳業でも、的場昭宏『初版ブルクハルト版 共産党宣言』(作品社)で〈労働者は時々の抵抗のために食料を蓄積する長期的なアソシアシオンをつくる〉(52頁)とした例がありました。

ああドイツ語にもverproviantierenとあるではないか。手元の辞書(大修館マイスター独和辞典)にちゃんと「食料を準備する」とあります。
  
書棚を探すと筑摩書房の『マルクス・コレクション』第2巻が出てきました。「コミュニスト宣言」というタイトルになっています。該当箇所を開いてみると「自ら恒常的な組合をつくる。時々の怒りの爆発に備えて、食料その他の準備をするためである」(356頁)。
 

服部訳が嚆矢なのか


これで「食料」が出てくるのが3つ。服部訳が1989年、コレクション版が2007年、的場訳が2010年となっていて、服部訳を以て嚆矢とするのか。もしそうだとするのならば、服部さんはなぜ、注にそのことを書かなかったのでしょうか。新日本の訳本には英語版との異同など詳細な注が付いているのに解せません。

書棚に東京学習会議で講師をされていた今井伸英さんの『私たちの“共産党宣言”』(本の泉社)がありました。『宣言』の解説本です。そこには「不時の反抗のために食糧を準備する」(87頁)と『宣言』から引用されていましたが、「食糧」についての説明はありません。テキストは大内・向坂訳の岩波文庫が使われています。しかし、先ほど書いたように私の持っているものには「食糧」はない。どうしてだろう?

ネットで調べると「改版 1971年」と出ていました。私がもっているのは1968年29刷です。1971年に改訂されたのだろうか?あわてて本屋に行って確認。「食糧」の2文字があったので買ってきました(笑)。奥付を見ると、1971年に第33刷改訳、2007年第86刷改版とあります。

1971年に「食糧」が付け加えていたならば向坂訳が嚆矢です。2007年の改版の際に付け加えられた可能性も否定できないと思ったのですが、今井さんの解説は2006年刊行。改版の前年です。すると
1971年の改訳のさいに訳文は改められたと考えるのが自然でしょう。

たまたまAmazonで出版年が1971年と特定している古書が出ていましたので、またまたお買い上げ。そこにも「食糧」の文字があり、これでを誰が初めに「食料(食糧)を準備する」と訳したのかが確定しました。

 経過を渡邉編集長に報告すると、

「奥付から判断すると、1970年の向坂の《改訳に際して》では紙型が磨滅したと書いてあるので、改訳と改版がここでおこなわれた(このときは活字組みで)。その後版を重ねたが、また紙型が磨滅したので、2007年に電算写植で組み直し=「改版」した――ということになりそうですね。

ですから、訳文をいじる機会は70年(刊行は71年)のときに1回だけ、「食糧」が入ったのはこのとき、ということになる」

 という返事が来ました。

2冊の文庫を見比べてみると確かに71年版は活字で、本屋で買い求めた現行版は写真植字。渡邉編集長の言ったとおりでした。

さて、今回は訳文についての詮索で終わってしまいました。

肝心なのはマルクスが「その時々の反抗にたいして食料を準備する」(verproviantieren)の意味、反抗のために食料を準備するとは具体的にはどういうことだったのか、ということです。それはまた次回。

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